掃き溜めに宇宙

掃き溜めです

2024年4月23日

・昨日は結局22時にくらいに寝た。今日も仕事に身が入らずネットサーフィンしていた時間が多かった。いつも思うけど監視ツールとか入ってないのかうちの会社のパソコンは。通勤定期の明細も提出求められないし、社員を信用しすぎでは。

 

・自分は異常なネガティブで卑屈な性格なのにいまだにうつ病パニック障害など症状が出たことがない。我ながら不思議だと思うが仕事もなんだかんだで時間的にも心理的にも余裕はあるし(めっちゃ嫌ではあるけど)、時間がたてば色々どうでもよくなる性分だし(何も解決しないのでよくないけど)、責任感がほぼ皆無なので(シンプルに良くない)で、意外とストレスをため込まないように身体ができているのかもしれない。あとは、初めから人生というか世界に絶望しているしよくなる期待もしていないので、理想と現実との落差を感じにくいというのは、症状にならない大きな要因の一つだと思う。学生時代の陽キャ女子が鬱だったりで休職したと聞いて以外だなと感じたが、彼女たちは当時理想と現実のギャップが大きかったのだろうかと考える。


・晩飯に近所のラーメン屋で味噌ラーメン食った。味噌ラーメン好きで色々食べてきたけどここのが結局1番美味いんだよなーと思って久々に食べたけどなんか思っていた程ではなかった。結局当初の期待からどれくらいの差があるかってのが、精神的ダメージの大きさを決める一番の要因なんじゃないか。

 

・ふと仕事中に、こぼれたミルクに泣かないでという邦題のアルバムがあったことを思い出したので今聞きながらこれを書いている。パワーポップバンドではあるが、コーラスワークがクイーンみたいでかっこいい。このバンドJellyfishは短命に終わってアルバムも2枚くらいしか出していないのだが、結構好きな曲だなと感じるし、何より邦題がとにかく秀逸。俺もこぼれたミルクに泣かないようにしたい。

 

youtu.be

映像初めて見たけどお前が歌うんかい。

2024年4月22日

・眠い。昨日は現在の仕事に対する不満と将来の収入の不安、彼女に振られたことによる孤独への不安、とある査定で結果が芳しくなかったことによるショックによって全く寝付けなかった。暑さも相まって3時半くらいまで頭がさえていたように思う。結局仕事も体調不良を言い訳にして早めにあがってしまった。今日はアンメットの2話がやっているが、それも見る気が起きないくらいには眠い。というか昨日もアンチヒーロー2話を落ち込んでいたため見る気が起きなかった。まあいいかな。しばらくはドラマだの映画だのアニメだの、役者が芝居を吹き込んでいるコンテンツが見られないかもしれない。漫画か活字しか見れないかもしれない。

 

・昨日は新宿の紀伊国屋でつい3冊も本を買ってしまった。本を買うと、本を読む以外に何もできなくなってしまうので困るが、最近は自分が思っている以上に活字に救われているのかもしれない。買ったのは

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』三宅香帆

『転職ばっかりうまくなる』ひらいめぐみ

二十歳の原点高野悦子

の3冊。今『転職ばっかりうまくなる』を読んでるが短いので1日で半分以上読み切った。ちょうど転職を考えている時期なのでうんうん言いながら読んでいるが、結局この本でも著者は伴侶に巡り合えているのでうーんとなっている。「理解のある彼くん」的なものとは違うのだが、自分はこういう形でも嫉妬というか、共感の外側にはじき出してしまうのかとがっかりしてしまう。

 

・眠いので音楽を聴きながら書く気も起きない。ただ帰りの電車はmoreruを聴きながら帰った。moreruにしかいやせない傷が確かにある。

youtu.be

 

森道市場で一番楽しみにしているかもしれない。

2024年4月21日

・転職して1年経ったが昇給額が1000円しかないなんてどういうこっちゃねんわしに死ねゆーんか、といったところでまたしても転職活動を再開しようかと考えている。しかしこんな体たらくでええんかね。どうせまた1次面接で落とされまくることが目に見えとるっちゅーんに。こういうことを繰り返して繰り返して、懐が潤っていくわけでもなく、かといって心はもっと荒んでいくしかないという、それが人生なら、俺は長い気なんてしたくないね。

 

・彼女にもフラれた。交際期間半年。最初はかなり向こうからの好意を感じていたが、結局向こうから別れを突然切り出された。LINEで。平日の仕事中に。返信はいらないとか言い出して。何が一番悲しいって、まあまあ高かった好意を半年でマイナスに突き抜けさせるほど自分の所業が人格が終わっているという事実を、一度ならず二度までも突き付けられたということ(その前の人とも5カ月で振られている)。再来月でもう27歳。またマッチングアプリからやり直すのか?どうせまた見限られてフラれる未来しかないのに。仕事同様、とにかくゼロに戻ってから新たに高望みをすることを繰り返す。はああ。結婚しているやつらがすごすぎる。他人と他人が好き同士で、今後半永久的に人生を添い遂げる意思表明をお互い合意できるって、もう奇跡じゃないか?

 

・書いているうちになんか色々どうでもよくなってきた。日記をつけることを再開してみようかなと軽い気持ちで思ったけど、こんなことにも意味なんてないのよ。我々が向かう先は死のみで、その後に自分の手元には何も残らないのであれば(物理的に手が存在しなくなるので)、何をしたって空虚でしかないのでは?音楽聞きながら書いているせいか自分でも何言っているのか分からなくなってきたが、また色々思考を制止りたくなったタイミングで改めて書いてみようとは思っている。ちなみに今は折坂悠太のトーチとかROTH BART BARONのUbugoeとか流れている。結局日本語の音楽が一番だとは思うけど、日本語の音楽を聴きながらだとこういう文章を書くときに邪魔される。

 

・最近よかった曲を毎回書くようにするか。Dos Monosが遂に新曲を出した。ヒップホップからロックバンドになるときいて一抹の不安を感じていたが、やはりかっこいい。ラップがあることには変わりないので、ミクスチャーロック感が増している。プログレとかフリージャズ感もちゃんと残っている。俺は荘子itのサンプリングセンスが大好きなんだよと思っていたけど、(なのでサンプリングを使っていない新録Theater Dはあまり刺さらなかった)アルバムもリリパもがぜん楽しみ。

 

youtu.be

孤独

2月23日から26日までの4連休、初日はBLUE GIANT見に行って高円寺に行って、2日目は3月の旅行の計画を立ててずっと家にいて、3日目は家から1時間の青梅にまで行って散歩してスーパー銭湯に行って、4日目は友人の劇を見に行ってすぐ帰って、

ほとんど人と会話していない。せっかく有休もとって連休を錬成したのに、舞台を見に行ったとはいえ、友達と過ごした時間がほぼなかった。

 

そしてそんなときに限ってInstagramで高校の同級生や大学の同期のアクティビティを確認してしまう。孤独感にさいなまれることなど分かっているはずなのに。

まあまあ仲良くしていた人たちが自分抜きで集まって旅行に行っているところを見てしまうと、「ああ、自分はこの人たちの査定に落ちてしまったんだな」と感じてしまう。

 

自分はとにかく人を誘うことができない。徹頭徹尾受け身の人間である。「案外人は自分のこと気にしていない」とはよく言われることだし、頭では理解しているつもりだが、思春期の頃をはじめとした過去の経験から染みついた「思考のクセ」というものはなかなか変わるものではなく、常に人から自分がどう思われているか、嫌われているのではないかといった不安にさいなまれながら人間関係をなんとかやりすごしている(そのくせナチュラルボーン失礼なので後から振り返って死にたくなるほど失礼な態度をとってしまうこともあるがそれはまた別の話)。

そもそも連休に人を誘ったところで、たいていの人はすでに仲が良い別の人たちと予定を組んでいるのでお呼びではないのだ。そこに自分が誘われていないということはもう「そういうこと」だし。それを事実として突きつけられるのが怖いから人を誘うことができないのだ。

 

だからいつか俺の周りにいた人々の頭から俺の存在がなくなったとき、自分はこの人たちが今後付き合っていく人リストにいれる査定から落ちてしまったんだなと感じてしまう。「そういうお前も人をそうやって査定してリストに入れているのではないか」と問われた場合は、自分のような人間は自分が査定する側の人間だとどうしても思えないとしか答えられない。だから自分には特別好きな人も嫌いな人もいない。要するに、俺には「自分がない」。

 

そして世の中のたいていの人間は、こういう常に周りの目を気にして自分が無く、自ら受け身の状態になることを選んでいるくせに選ばれないとこうやってぐちぐちいう俺みたいなカスのことが嫌いだということも理解している。頭では。そのつもりなのに、俺はずっとこの状態から抜け出すことができない。なのでもう、誰にも迷惑をかけないために、誰の記憶にも完全に残らないために、そして何より俺自身が勝手に独りになって勝手に傷つかないように、早いところ死んでしまいたい。それかすべての連絡先を断って今までの人間関係を捨て、失踪してしまおうか。

 

特に誰にも迷惑をかけられたわけでもないのに、誰とも険悪な関係になったわけでもないのに(言い換えればそうなる可能性がある状況にすらいないということになるが)。こう考えてしまうことは変ですかね。

 

 

道行く人たちにそれぞれの人生

東京に暮らしていると、どうしてこの都市にいる人達は東京にいるんだろうと考えることがよくある。

 

東京は日本で最も人口が多い都市だ。そんな都市に住んでいる人たちは母数が圧倒的に多いこともあって、人それぞれ東京に住んでいる理由も違ってくるはずだ。地元が東京だから、夢を叶えたいから、務めている会社が東京にあるから、東京でしか味わえないカルチャーがあるから…。東京ですれ違う人たちはみなそれぞれの理由を抱えて、自分と同じ都に暮らしているのだ。観光客や出張で来た人なんかを含めればもっといろいろな理由を抱えている人たちがいる。

 

僕は昔から新宿や渋谷などの人込みがものすごく苦手だ。これは単純に人混みが苦手だからというよりも、なぜ人々がそこに集まっているかがわからないからだ。例えば飲食店やテーマパークにどれだけ人がたくさんいても特に不思議には思わない。皆その店の料理を求めていたり、現実を忘れられるアトラクションを求めていたりと、その場にいる全員が共通の理由でそこにいるということがわかるからだ。観光地に人がたくさんいても、皆その場所を観光したいから集まっているのだ。

だが東京の人込みは訳が違う。確かに観光地としても機能しているが、その場にいる各々が別々の理由で同じ場所に集まっているのだ。渋谷の人込みなら、ある若者はファッションのショッピングに、ある青年は仕事で、あるバンドマンは自分のライブに出演するためなど。全国の様々な都市でも同じような現象はあるが、東京は圧倒的だ。何の目的でその場にいるかわからない人で押し寄せている光景は自分にとってはとても窮屈だ。

 

道行く人々にそれぞれの目的があるのであれば、当然それぞれの人生がある。すれ違う人、同じ電車の車両の中にいる人、飲食店の客…、みなそれぞれに人生があり、仕事があり、人間関係があり、趣味嗜好がある。人生の主人公は自分だとはよく言うが、他人の人生からすればもちろんその他人本人が主人公になるのである。当たり前のことだが、この事実でたまに頭がパンクしてしまいそうになる。一瞬だけ視界に入る、どこの誰だかもわからない、二度と関わることのない人にも、その人が生きた分だけの時間という情報が確かにこの世界に存在していて、それは人口と同じ、何億もの数転がっている。普段生活していて赤の他人の人生に思いをはせることはないが、ひとたび「この人は何で今俺と同じ駅を利用しているんだろう」「この人は友人がどれだけいてどんな仕事についているんだろう」「この人とこの人はどのようなきっかけがあって一緒に歩いているんだろう」などと考えだしてしまうと、数億ある情報の渦が一瞬だけ脳みそをジャックする感じがあって非常に頭が混乱するのだ。

この現象が東京という場所に住んでいると特に起きやすい。だから東京の人込みは苦手なのである。

 

止まりだしたら走らない | 品田 遊, error403 |本 | 通販 | Amazon

好きな短編小説集がある。品田遊の「止まりだしたら走らない」という作品だ。

JR中央線を舞台に、乗客たちの超個人的な事情を描いた小説である。著者の品田遊はダ・ヴィンチ・恐山名義でライターとしても活動しており、僕は彼のファンなので読んでみたのだが、僕が日々考えていた上記の事柄を鋭い視線で取り上げてくれた感じがして非常に好みだった。この著書の中でもある登場人物が、自分以外の人もみな「考えている」ことに気づき、その瞬間呆然としてしばらく動けなくなってしまったシーンがある。僕も一緒だった。自分には一つの世界しか見えないが、世界は生きている人の数だけ存在する。世界は常に、彼らの世界も同時に背負って回っている。

 

 

大竹伸朗展に行ってきました

先日大竹伸朗展に行ってきました。

 

f:id:tsusoyotsuoka:20221114231831j:image

 

学生の頃旅行した直島で見た氏の作品が非常に印象に残っており、名前だけは覚えておこうと思っていた。その彼の16年ぶりの回顧展が東京国立近代美術館で開催されると知り、これは絶対に行こうと友人を誘って行くことにした。

 

美術館前に着くなり「宇和島駅」がお出迎えだ。これは氏が愛媛県宇和島市にアトリエを構えていた縁から、駅舎の古いネオンサインを作品として入り口に設置したものである。

 

f:id:tsusoyotsuoka:20221114231926j:image
f:id:tsusoyotsuoka:20221114231914j:image
f:id:tsusoyotsuoka:20221114231929j:image
f:id:tsusoyotsuoka:20221114231932j:image
f:id:tsusoyotsuoka:20221114231917j:image
f:id:tsusoyotsuoka:20221114231911j:image

 

あんまり写真を撮っていないんで紹介できるものは少ないのだが、彼の作品は様々な写真や商品パッケージなど無差別に冊子に張り付けまくった「スクラップブック」や巨大な小屋に電飾や看板、はたまた昔の映像を流す極小のディスプレイや楽器などを設置したインスタレーション、そして網膜に映る映像の再現を志向した絵画など、あまりにも幅広くておよそ一人の作家の展覧会とは信じられなかった。コラージュアートのような作品が彼の代名詞だと思うのだが、この展覧会自体がいわば一つのコラージュアートのような印象を受けた。情報量が多すぎて頭がおかしくなりそうだったし、鑑賞していても「なんだこれ、わっけわかんねえ」と思っていた作品も多かった。

 

美術館に赴いて「なんだこれ、わっけわかんねえ」と思うのは、鑑賞に際して理解することを放棄する愚かな行為な気がしなくもないが、僕自身「なんだこれ、わっけわかんねえ」と思いたくて美術館や展覧会に行っているきらいがある。

 

そもそも僕が現代アートが好きなのは、「なんかよくわかんねえ」ことが多いからだ。なんでこれとこれをこんな風に置くだけでそんなに価値がついているのだ?なんでただの四角形がいくつか描いてあるだけのこの絵にそんなに価値がついているのだ?それはきっと、自分にとっては「わっけわかんねえ」と思ってしまうような何らかの理由と作者の技巧があるからだ。そんな作品を目の当たりにすると、「どうだ、お前にはよくわからないだろう」と自分自身に問いかけられている気がして、自分自身の美的センスや常識に揺さぶりがかけられる。その心のざわめきがとても心地よい。美術の歴史と市場価値、そして何より作者の技巧とセンスをひっくるめたハイコンテクストなマウント取りによって、自分自身のちっぽけさや学の無さを再認識させてくれる。そういった体験をしに僕は美術館に行く。僕はドMなのかもしれない。

 

なので抽象画とかも結構好きだ。学生の頃にニューヨークのメトロポリタン美術館の抽象画のコーナーをわくわくしながら見ていたが、同行していた人は何がいいのかさっぱりわからないと言っていたっけ。逆に「何が描いてあるか、何がすごいのかなんとなくでもわかる」作品は僕はあまり惹かれないのかもしれない。写実的な絵や中世の肖像画などを直接目にしてもそれほど感動しなかった。おそらく「何が描いてあるかわかる」ものは「何がすごいのかもわかる」からなのではないか。そういった作品よりは印象派キュビズムシュルレアリスムなどの作品のほうが好きだ。

また、昔の作品には知名度や歴史という重みが付加価値としてついてくる。「これが教科書とかで見たことあるあれかー」と思うことにより、鑑賞の際のインパクトが大きくなるのは確かだが、絵や作品自体の印象よりそちらのほうが優先されてしまうので、純粋に作品に好きを見出しているかといわれると違う気がする。

 

一通り大竹伸朗展を堪能した後、同行していた友人は、彼の作品は庶民的で親近感を覚えた、と評していた。曰く、氏がコラージュしていたものはすべて庶民が手にする書物や広告、商品のパッケージなどであり、そういった生活感を作品の中に感じたから、とのこと。ここまで考えて自分の中で感性の結論を出せるのも羨ましいなと思った。俺の感想なんて基本的に「うわあすげえ」「わっけわかんねえ」とかばっかだもん。もちろん説明書きとかもちゃんと読んでるけど、そのうえであえて「わっけわかんねえ」と思う余地を残して打ちひしがれるという選択をとってもいいですよね。

 

f:id:tsusoyotsuoka:20221114231935j:image

 

これはガチャでひいたジャリおじさんのフィギュア

 

 

 

2020年上半期でよかったアルバム9枚

早いもので2020年も半分を過ぎた。だいたいこの時期になるといつもインターネットがざわつく。「【速報】今年、もう半分終わる」みたいなツイートは正直もう見飽きているのだが、一年の半分が過ぎたという事実に対して年々「もうそんなに経ったのかよ」感は強まっている。

 

時の流れの早さというのは、きっと一生廃れることのないコンテンツなのだろう。

 

ところでインターネットは広いもので、この時期になると音楽が好きな人たちがこの半年にリリースされたアルバムでよかったものを列挙しだす。各人の上半期ベストアルバムリストを見て、「それよかったよね」「それ知らないなー今度聞いてみよ」「自分はそれあまり好きじゃなかったな」という感想をめぐらせるのである。

 

ということで、自分も選んでみました。このブログで自分の趣味についても書いてみたかったんですよね。

 

洋楽邦楽まんべんなく選出してみました。自分はあまり新しい音楽を追うタイプではないと思っているので、選ぶやつも全然目新しくもなんともないと思うけど。短いですが音楽レビューとかも初めてちゃんと書いてみました。やってみたけどマジで難しい。割とインターネット上の既存のレビューとかも参考にしてたりするのであまりオリジナリティ無いかもしれない。読めたもんじゃなかったらごめんなさい。。

 

9枚選出したが、ここではその9枚のうちで特に優劣はつけないので、リリースされた順に紹介していきます。

 

それじゃあ行くぞー!

 

 

Aiming For Enrike "Music For Working Out"

 

f:id:tsusoyotsuoka:20200704234201j:image

 

ノルウェー産ベースレスツーピースインストバンド。「ワークアウトのための音楽」と称されたその音楽は、ギターとドラムのみながらルーパーが多用されており、派手な爆発力よりも這うように迫ってくるような独特の重厚感が漂っている。計算されつくした小刻みに刻まれるギターリフやドラムの16ビートが聞いていてとても心地よい。ちょっとしたことでは動じないようなこの”強者感”が筋トレをするときに聞く音楽としては案外ピッタリなのかもしれない。そう感じるのは俺だけか。ちなみに収録曲の"Ponzu Saiko"というタイトルの意味は読んで字のごとく「ポン酢最高」らしい。どこでポン酢を知ったんだよ。

 

 

②GEZAN "狂(KLUE)"

 

f:id:tsusoyotsuoka:20200704234209j:image

 

一聴してすぐ「やってくれたなあ」と感服した。bpm100で統一され、全曲シームレスにつながったこのアルバムは、サブスク全盛の時代でアルバムを通して聴くことに意味を持たせた作品の一つだ。そのうえケチャやガムランの要素を内包したトライバルなグルーヴに、アングラかつ過激なバンドサウンドが加わり、全編つながっているのに一切のゆるみを感じさせない。”赤曜日”の緊張感とカタルシスは本当にすさまじい。冒頭の語りにもあるように、この作品ではレベルミュージックとして現代社会や政治に警鐘を鳴らしながらも、そんな時代に我々はどう生きるか、この時代の幸せとは何かを再定義させ、革命を要求する。聞くものの覚悟が問われる傑作である。

 

 

 

Tama Impala "The Slow Rush"

 

f:id:tsusoyotsuoka:20200704234224j:image

 

現代ロックシーンで最も勢いのあるオーストラリアのサイケデリックバンドの4thアルバム。前作の作風を踏襲しつつ、"Tomorrow's Dust"などのアコースティックな曲や"Is It True"のようなファンキーな曲も含めよりバラエティに富んだ作品である。曲名でも見られるようにこの作品は時の流れについて思いをめぐらしているというが、サウンドに関しては時にやりすぎとも言えるくらい歪(ゆが)んだシンセサウンドで、もはや時の流れを忘れさせるくらい頭をくらくらさせるサイケを演出している。延期になったフジロックフェスティバルで引き続きヘッドライナーとして出演予定なので、これを夜の苗場で爆音で聞きながら昇天したいな~。



 

④Grimes "Miss Anthropocene"

 

f:id:tsusoyotsuoka:20200704234236j:image

 

カナダの女性エレクトロミュージシャンの5th。あのイーロンマスクの現パートナーでもある。マネージャーであり友人であった人物が亡くなったことが影響し、前作までにあったカオティックながらも露骨なポップネスは薄れ、よりシリアスでダークなエレクトロポップになっている。曲名も"Violence"、"My Name Is Dark"、"Delete Forever"などネガティブなワードが浮かび、死や悲しみなどの暗い感情を浮き彫りにしている。一方で、"We Appreciate Power"ではバキバキのサウンドにのせて人類の歴史を凌駕するテクノロジーへの憧憬が歌われている。「スピリチュアルな視点から見た近代性やテクノロジー」とか「擬人化された気候変動の女神について」をコンセプトとしてこのアルバムは、パーソナルな憂鬱のみならず社会問題や環境問題にも目を向けさせる作品に仕上がっている。

 

 

⑤The Chats "High Risk Behavior"

 

f:id:tsusoyotsuoka:20200704234244j:image 

 

こういうガキくせえ雑なパンクロック(誉めてる)がまだ生き残っててよかった。オーストラリア産のスリーピースなのだが、chatという単語はシドニーではshit(クソ)という意味でも使われるらしい。一貫してアホな姿勢が最高だ。サウンドも超シンプルなのにとてもキャッチ―。Dead KennedysとかStiff Little Fingersあたりが好きなんだろうなというのがもろに分かる感じがするし、「楽器持ったしとりあえず何かしようぜw」感が非常にいい。凝った曲が流行りがちだけどバンドってもっと適当でもいいんだよなと(そこまで言うと失礼か)改めて感じさせる作品である。



 

⑥どんぐりず "baobab"

 

f:id:tsusoyotsuoka:20200704234353j:image

 

名前や風貌から玄人好みのコント職人みたいな感じがするが、正体は群馬県在住の音楽ユニット。前作から一転してヒップホップに傾倒したこの作品では、グルーヴィかつ音数はそこまで重ねない渋いサウンドに言葉遊びが重視されたナンセンスなリリックがのっかる。DIY感あふれる安っぽいPVや本人たちのキャラも相まってコミックバンドの印象が強いが、色物好きだけでなく、おしゃれなシティポップなどの音楽が好きなリスナーや洋楽好きなどにもウケる間口の広さもこの作品は持ち合わせている。



 

⑦Age Factory "EVERYNIGHTS"

 

f:id:tsusoyotsuoka:20200704234359j:image

 

さっきバンドはもっと適当でいいとか書いているが、最近の日本のロックシーンで一番説得力のあるバンドサウンドを出しているのは彼らなのではと個人的には思っている。スリーピースで鳴らすことが出来る等身大のサウンドから、"CLOSE EYE"のような相当なヘヴィネスまでも演出している。しゃがれた声で絶叫する反骨精神むき出しなボーカルもあり、やってることは全く違うが何だかミッシェルガンエレファントのような雰囲気を感じるのである。この音に何も感じるものが無いのなら、あなたはロックとは無縁だと思ったほうがいい、みたいな。それは流石に言いすぎだけど。それくらい”バンドで鳴らせる音”をアティチュード含めて出していると思う。



 

⑧藤井風"HELP EVER HURT NEVER"

 

f:id:tsusoyotsuoka:20200704234412p:image

文豪のような風貌と幅広い音楽性から何だか大正から令和まで一人で横断している人って感じがする。ブルージーかつアダルトながらもインターネットスラング備後弁が炸裂する「何なんw」とか、昭和な香りがプンプンする「罪のかおり」とか、絶対これ何かのドラマ主題歌だろって思わざるを得ない「優しさ」とか。というか来年までに本当にドラマ主題歌とかやってお茶の間に浸透して紅白に出ます。これはマジです。何ならルックスもいいので確実にKing Gnuの常田大希くらいにちやほやされます。もはやもうされてます。デカい新人だな。

ところで彼、出身は俺の実家の最寄駅から30分ほどでいける岡山の里庄町だし、誕生日もぴったり俺の一週間後だしって…。こんなに近い環境にいてこれだけ差が出るなんて…何なんw

 



⑨Arca "KiCK i"

 

f:id:tsusoyotsuoka:20200704234422j:image

 

6月の終わりにこの作品がリリースされたのだが同じ日にHAIMとKhruangbinの新譜もリリースされてもう全部聞くのに忙しかった。全部選びたかったけど今回はあえてこれを選出する。変な音楽が好きなもので…。

ベネズエラ出身ロンドン在住の彼だが、その風貌やアートワークからうかがえるように相当アバンギャルドなエレクトロサウンドを生み出している。しかしこれでも前作よりは幾分キャッチ―で聞きやすくなっており、彼がサウンドをプロデュースしたこともあるアイスランドの歌姫Bjorkが参加した"Afterwards"なんかは息をのむ美しさである。"Machote"なんかもう割と歌ものとして成立してるし、彼の音楽の新境地ともいえるだろう。もっと変な音楽が好きだったり、Arcaの本領を覗いてみたくなったら、別の作品を聞いてみることをおすすめする。

 

 

 

並べるとこんな感じ

f:id:tsusoyotsuoka:20200705001906p:plain



 

 

他にもたくさんいいアルバムはあったけど、僕の少ない語彙力ではこれ以上はもうキチイのでこのへんでやめておきます。

あと個人的に2020年の音楽ニュースでデカかったのは年明けと同時に発表された東京事変の再生ですかね。EPだったんで紹介はしなかったですけど、新譜も最高でした。ライブ決行して叩かれてたの見て悲しくなりました。

 

早くライブとか開催できるようになってほしい。