掃き溜めに宇宙

掃き溜めです

孤独

2月23日から26日までの4連休、初日はBLUE GIANT見に行って高円寺に行って、2日目は3月の旅行の計画を立ててずっと家にいて、3日目は家から1時間の青梅にまで行って散歩してスーパー銭湯に行って、4日目は友人の劇を見に行ってすぐ帰って、

ほとんど人と会話していない。せっかく有休もとって連休を錬成したのに、舞台を見に行ったとはいえ、友達と過ごした時間がほぼなかった。

 

そしてそんなときに限ってInstagramで高校の同級生や大学の同期のアクティビティを確認してしまう。孤独感にさいなまれることなど分かっているはずなのに。

まあまあ仲良くしていた人たちが自分抜きで集まって旅行に行っているところを見てしまうと、「ああ、自分はこの人たちの査定に落ちてしまったんだな」と感じてしまう。

 

自分はとにかく人を誘うことができない。徹頭徹尾受け身の人間である。「案外人は自分のこと気にしていない」とはよく言われることだし、頭では理解しているつもりだが、思春期の頃をはじめとした過去の経験から染みついた「思考のクセ」というものはなかなか変わるものではなく、常に人から自分がどう思われているか、嫌われているのではないかといった不安にさいなまれながら人間関係をなんとかやりすごしている(そのくせナチュラルボーン失礼なので後から振り返って死にたくなるほど失礼な態度をとってしまうこともあるがそれはまた別の話)。

そもそも連休に人を誘ったところで、たいていの人はすでに仲が良い別の人たちと予定を組んでいるのでお呼びではないのだ。そこに自分が誘われていないということはもう「そういうこと」だし。それを事実として突きつけられるのが怖いから人を誘うことができないのだ。

 

だからいつか俺の周りにいた人々の頭から俺の存在がなくなったとき、自分はこの人たちが今後付き合っていく人リストにいれる査定から落ちてしまったんだなと感じてしまう。「そういうお前も人をそうやって査定してリストに入れているのではないか」と問われた場合は、自分のような人間は自分が査定する側の人間だとどうしても思えないとしか答えられない。だから自分には特別好きな人も嫌いな人もいない。要するに、俺には「自分がない」。

 

そして世の中のたいていの人間は、こういう常に周りの目を気にして自分が無く、自ら受け身の状態になることを選んでいるくせに選ばれないとこうやってぐちぐちいう俺みたいなカスのことが嫌いだということも理解している。頭では。そのつもりなのに、俺はずっとこの状態から抜け出すことができない。なのでもう、誰にも迷惑をかけないために、誰の記憶にも完全に残らないために、そして何より俺自身が勝手に独りになって勝手に傷つかないように、早いところ死んでしまいたい。それかすべての連絡先を断って今までの人間関係を捨て、失踪してしまおうか。

 

特に誰にも迷惑をかけられたわけでもないのに、誰とも険悪な関係になったわけでもないのに(言い換えればそうなる可能性がある状況にすらいないということになるが)。こう考えてしまうことは変ですかね。